2008年11月04日

「めめしさ」について

このところ、情の本質を「めめしさ」とした本居宣長の主張に共感してゐる。

彼はいふ。「しごくまつすぐに、はかなく、つたなく、しどけなきもの」にこそ価値があるのだと。

"やまとうた”の根本がそこにあるならば、ボクも恥かしがることなく、
改めて堂々と「めめしさ」を追求してみやうと思ふ。


少年の頃兄に言はれた言葉を思ひ出す。
「お前はめめしい、文弱の徒だ」と。
この言葉がトラウマとなつて、こんな齢まで身に染み付いてゐたやうだ。


さてと、開き直つて「めめしさ」を表現した歌をいつぱい詠んでみやう。


めめしい例とは言ひ切れないが、たとへば萬葉集の次のやうな歌、


 ・わが屋戸のいささ群竹吹く風の音のかそけきこの夕べかも  大伴家持


この境地まではなかなか到達できまいが、目標は高い方が良いだらう。

めめしく、しどけなく、頑張つてみやうか、と思ふ。

タグ:本居宣長
posted by 素浪人Joe at 01:36| Comment(4) | TrackBack(0) | 歌について思ふこと | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
×

この広告は1年以上新しい記事の投稿がないブログに表示されております。