このところ、情の本質を「めめしさ」とした本居宣長の主張に共感してゐる。
彼はいふ。「しごくまつすぐに、はかなく、つたなく、しどけなきもの」にこそ価値があるのだと。
"やまとうた”の根本がそこにあるならば、ボクも恥かしがることなく、
改めて堂々と「めめしさ」を追求してみやうと思ふ。
少年の頃兄に言はれた言葉を思ひ出す。
「お前はめめしい、文弱の徒だ」と。
この言葉がトラウマとなつて、こんな齢まで身に染み付いてゐたやうだ。
さてと、開き直つて「めめしさ」を表現した歌をいつぱい詠んでみやう。
めめしい例とは言ひ切れないが、たとへば萬葉集の次のやうな歌、
・わが屋戸のいささ群竹吹く風の音のかそけきこの夕べかも 大伴家持
この境地まではなかなか到達できまいが、目標は高い方が良いだらう。
めめしく、しどけなく、頑張つてみやうか、と思ふ。
ラベル:本居宣長