7月号掲載分が今頃のUPとなつてしまつた。元々ボクのずぼらな所為ではあるけれど、
実の所は意味まで変つてしまふやうな直され方だつたので、UPするかどうかをを迷つてしまつたこともある。
何のコメントもなく直されたので、色々考えたが提出時の元の形で載せておくことにした。
選者の先生が手を入れられたのか、編集委員が直したのかは分からない。
従つて直された歌も併せて載せておく。
# An die Musik
甘すぎるミルク紅茶を飲むやうにクラリネットはラルゴーに入る
チェロの糸指の先より身に沁みて体躯(たいく)ふるはす 人恋ふるがに
この歌は一字をなくし結句を (人を恋たり) と添削されてゐる。
これではまるで作者がチェリストに焦がれてゐるやうでどうにも落ち着かない。
ボクがチェリストに恋をしたわけではなく、体躯といふのは楽器の胴で、
それがまるで激しい恋をしてゐるやうだと言ふのである。
ヴィオロンとピアノフォルテのむつごとは地にひそやかに降る春の雨
これは次の様に直された。
・ヴィオロンとピアノフォルテのむつまじき語らひひそか降る春の雨
ボクの使つた (むつごと) は (睦言) なのである。
この歌はトルストイの小説「クロイツェルソナタ」をイメージしたもの。
クロイツェルソナタそのものはご存じベートーヴェンのヴァイオリンソナタだが、
この曲のヴァイオリンとピアノの掛け合いに不貞の危ふさを感じたのだらう。
ボクの歌も官能的に捉へてベッドで語る (むつごと) としたわけだ。
直されたものは形はととのつて品良くなつたけれども、ボクの意図とは違ふ。
軽やかなモーツアルトのフルートにスキップを踏む浮かれ老いびと
これは次のやうに意味不明の結句となった。
(浮かれ老いびと) → (浮かれて老いて) う〜ん。
なんだこれはと言ひたくなるひどい直し方だ。これにはあきれてしまつた。
さあここぞオケみな止まりカデンツァの見得切るの前の一瞬の靜
以下の二首は掲載されなかつたものだが、自分としては愛着のある作品だ。
イタリヤをハロルドはゆくヴィオラの音(ね)ひとりし歩む主役となりて
(イタリヤのハロルド)と言ふのはベルリオーズのヴィオラ独奏付きの交響曲である。
テキストはバイロンの長編詩「チャイルド・ハロルドの巡礼」によると言はれてゐる。
オーボエの啜り泣く夜のわびしさは雨の日に読む通俗小説
オーボエの音は昔懐かしいラーメン屋のチャルメラの音に似てゐる。
それでゐて通俗的もの悲しさが付きまとふ。
ただし、モーツアルトのオーボエソナタなんかには、そのやうな俗つぽい所はない。
以前から、盗み見るように拝見しておりました。
このたび、「花の室」に文章を拝見して、塚田先生とのご縁がおありだと知り、大変おどろいた次第です。
私は塚田先生のもとで短歌をはじめ、そのご縁で「潮音」にも出詠しております。
こちらのブログ、最近は更新をされていないようですが、今回のような掲載の裏話など、楽しみにしております。
突然失礼いたしました。
また先日は京都でお会ひできて嬉しかつたです。
「花の室」での英さんの投稿記事もお歌も拝見しました。どちらも基礎がしっかりしているので感服いたしました。今後ともよろしく。
更新頑張らなくてはと思つてます。
潮音の投稿分もさりながら、先づは花の室の転載からやってみます。
しびれますね。選者のチェックは、作者の
意図と無関係に直しますので、作者としては
納得しがたいことが多々あると存じます。
私は、修正前の貴殿の原歌が良いと思います。
久々に拝見して、気持ちがすっきりしました。
益々のご発展をお祈り致します。
ここまでお訪ね下さって恐縮です。
ありがたうございます。
まだまだ下手なくせに文句ばかり多くて、
わがままな作歌態度でしようがないのです。
このやうに見て頂けると励みが出ます。