大震災に
3月15日締め切りの5月号に間に合ふやうに急遽詠草を送った。
現場を見ないで詠む機会詠は難しい。
TVの映像を見て詠んでも、それは放送記者の目、自分の目ではない。
カメラ枠の外にある、写されなかったところの現実を、
どれだけ作者の心の目で見極めるることができるか…
どれだけ災害現場の人々の心に近寄れるか…
それは大いに疑はしい。文字を操るだけの歌でははなはだ虚しい。
歌虚(むな)し三十一文字に語れざる地震津波の地獄絵のさま
津波十米と聞けばやむなし人の智の器を越えし地球の嚔(くさめ)
本当は20m以上の津波だったといふ。 想像もできない…
映像を見るのみなるに背が震ふ 老い人の上(へ)に海は崩え落つ
逃げ遅れて、20mもの高さの水の壁が落ちかかってくる恐怖…
飯(いひ)食みてひとり涕(なみだ)をこぼしをり塩味なればおかずは要らず
大地震(おほなゐ)は天災なれど原電の事故を天災と思(も)ふをためらふ
大地震(おほなゐ)は天災なれど原電の事故を天災と思(も)ふをためらふ
このお歌、切実に感じます。
便利さと破壊。うらおもてと表現するには、あまりにむざんな災害ですから。
天災? それとも……。どちらかに断言するのはやっぱり「ためらい」あります。
こころのなかにある原発問題への懸念を、きっちりと、歌いとっていらっしゃると存じました。
最近ややスランプ気味です。精神的に不安定なところもあり、家でごりごろしてをります。
暑さのせゐばかりでないやうで、衰えを感じます。
なぁに、秋が来ればまた元気になりまさぁね…(苦笑)