『波濤集』より
この星に神が降せる人間のいさかひ止まず生命とりあふ
彼方より死に行く星を視つめゐる目もありと思ふ 死んではならぬ
情けない死に様がまう見えてくる花散る里のほら直ぐそばに
夜の闇は陽の差す裏にあることと思ひて安らぐ小さき生命は
ITに踏み入ればなほ忙(せは)しくてわれらの時間幾許もなし
「潮音」3月号にこれらの一連を出詠したときは、まだ3月11日の震災は起きていなかつた。
これらの歌は、神を恐れぬ人間がこの星(地球)を汚し壊してゆくのを、心配して詠んだものだ。
1首目は地上で何時までも止まぬ戦争を嘆いたもの。
2首目は宇宙人が地球の滅びて行くのを見ているぞといふ警告。
3つめは、浮かれてゐるうちに情けない地球の死が直ぐそこに来てゐるぞ、と言ふもの。
4首目・・・・ かなしく、そして悔しくなるのでもう止める・・・
人類は進歩と錯覚しながら、自らの星を壊してゆく作業を営々と進めてるのではないかと思ふ。
はからずも遭遇した今回の災害は、神が人間を試されてるやうにも思ふ。
目一杯走り続けてきた私たちは、いま一度立ち止まり、ゆつたりとしかし足を地に着けて歩み直そうではないか。
核利用はもともと人殺しの道具としての武器から始まつたものだ。今は民を潤す電力を生み出してゐるとは言へ、
これが最早暴走しかけてゐるではないか。
原電なんかいらない。 そのために文明が一時的にあとずざりして、不便になろうとも、この星を破壊してしまふより余程良い。
滅びへの道を辿るかわが星は驕りたかぶり自らを壊す
過ぎゆきの甘き歳月今にして悔ゆるは遅し空燃えて落つ
この2首は掲載されなかったものだが、原電の事故を思ふと震災以前に詠んだこととの符合に身が震へる思ひだ。
混沌とした中に詠み人の心が明示されており、読み応えがあります。