2011年09月19日

「潮音」2011年7月号出詠分

    
  7月号掲載分が今頃のUPとなつてしまつた。元々ボクのずぼらな所為ではあるけれど、
 実の所は意味まで変つてしまふやうな直され方だつたので、UPするかどうかをを迷つてしまつたこともある。

 何のコメントもなく直されたので、色々考えたが提出時の元の形で載せておくことにした。
 選者の先生が手を入れられたのか、編集委員が直したのかは分からない。
 従つて直された歌も併せて載せておく。 
 

   
# An die Musik


 甘すぎるミルク紅茶を飲むやうにクラリネットはラルゴーに入る


 チェロの糸指の先より身に沁みて体躯
(たいく)ふるはす 人恋ふるがに

  この歌は一字をなくし結句を (人を恋たり) と添削されてゐる。
  これではまるで作者がチェリストに焦がれてゐるやうでどうにも落ち着かない。
  ボクがチェリストに恋をしたわけではなく、体躯といふのは楽器の胴で、
  それがまるで激しい恋をしてゐるやうだと言ふのである。  


 ヴィオロンとピアノフォルテのむつごとは地にひそやかに降る春の雨

 
これは次の様に直された。
  ・ヴィオロンとピアノフォルテのむつまじき語らひひそか降る春の雨
 ボクの使つた (むつごと) は (睦言) なのである。
 この歌はトルストイの小説「クロイツェルソナタ」をイメージしたもの。
 クロイツェルソナタそのものはご存じベートーヴェンのヴァイオリンソナタだが、
 この曲のヴァイオリンとピアノの掛け合いに不貞の危ふさを感じたのだらう。
 ボクの歌も官能的に捉へてベッドで語る (むつごと) としたわけだ。
 直されたものは形はととのつて品良くなつたけれども、ボクの意図とは違ふ。


 軽やかなモーツアルトのフルートにスキップを踏む浮かれ老いびと

 これは次のやうに意味不明の結句となった。
 (浮かれ老いびと) → (浮かれて老いて)  う〜ん。
 なんだこれはと言ひたくなるひどい直し方だ。これにはあきれてしまつた。

 さあここぞオケみな止まりカデンツァの見得切るの前の一瞬の靜



  以下の二首は掲載されなかつたものだが、自分としては愛着のある作品だ。


 イタリヤをハロルドはゆくヴィオラの音
(ね)ひとりし歩む主役となりて

 
(イタリヤのハロルド)と言ふのはベルリオーズのヴィオラ独奏付きの交響曲である。
 テキストはバイロンの長編詩「チャイルド・ハロルドの巡礼」によると言はれてゐる。


 オーボエの啜り泣く夜のわびしさは雨の日に読む通俗小説
 
 
オーボエの音は昔懐かしいラーメン屋のチャルメラの音に似てゐる。
 それでゐて通俗的もの悲しさが付きまとふ。
 ただし、モーツアルトのオーボエソナタなんかには、そのやうな俗つぽい所はない。
posted by 素浪人Joe at 00:49| Comment(4) | TrackBack(0) | 日々に詠ふ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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