武相国境の丘に住んで

葛の花あちこちに咲く丘なりき港南台駅開業以前

駅前に店のなき頃カート引き1.5qを買出しに往きき

カート引きて往きて復りし若妻の額の汗をまだ憶えゐる
どのやうな喜び悲しみ持ちしやと呟きて問ふ妻の写真に
半世紀を共に暮らした妻のこと俺はどれだけ知つてただらう
横浜は南のはづれ、武相国境のあたりの丘に住んで40年を超えた。
昭和44年に越してきた頃は、電車もなければ人家もろくにない、山ばかりの田舎。
長男は小学校低学年、次男は2歳だった。
今の港南台駅周辺と競べると本当に今昔の感がする。
亡くなつた妻とは、一緒になる以前からの付き合いをいれると、
50年以上になるが、そのうちの大半をこの地で暮らしてゐることになる。
墓地も藤沢に近い夕富士の美しい丘の上にあり家からは30分で行ける距離にある。
添付の写真は「こうなんの歴史アルバム」から転載させていただいたもの。