2011年02月17日

新春20首詠選者の評

 「古都逍遙」の選者評 

新春20首詠について、潮音選者の評も載せておく。(敬称略)

過分なお褒めと思ひ、いささか面映ゆい感じもするけれど、
一応記録として転載させていただくことにした。

これを励みに一段と精進したいと思つてゐる。

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 「潮音」平成23年1月号より転載

 妻を亡くし、一人古都を逍遙するといふ一連。感傷的になりがちなテーマであるが佛像や景物と対話するかのように表現された一首一首は感情の抑制された作となっている。読者の心をも落ち着かせてくれる連作である。 (鈴木隆夫)
 
 歌題としては目新しくない旅行詠ではあるが、一首一首に作者の心が読み込まれ、恰も同行の一人になつた思ひで、立ち止り立ち止り鑑賞することが出来た。癒し系の作品である。 (工藤邦男)
 
 少し大まかに流れすぎた歌もあるが、古都のみほとけと故人に静謐感が漂っていてよかった。みほとけの指と頬の間の宇宙、店の女あるじの天平の顔、邪鬼が自分の顔に重なるなどの発見が全体を引き立たせている。 (平山公一)

 古都を逍遙する中で出会ったかそかなものに、しっかり目をとめている。ゆったりと詠まれ、古都の風物との心の通い合いが感じられる。教養のゆたかさにとどまらず、深い洞察力も感じられる。 
 (木村雅子)

 
  
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2011年02月15日

「潮音」2011年新春20首詠入選歌−その4−

   
 
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    #古都逍遙 −その4−


水n(すいびやう)を指(および)にさげて立ちませる悲母観音をみあげをり 孤り

塀越しに見ゆる八角円堂の夢殿の空に宝珠浮きゐる

黄金なす穂の絨毯を延べし先に三重
(みへ)なる塔の安けくも立つ

秋桜風になびきて斑鳩の小さきみ寺の九輪霞めり

街道を最終バスがやつてくる子規の柿の実食ふ暇(いとま)なし
  
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  実をいふと一首目の悲母観音は実写ではない。ボクのイメージのなかにあるものだ。
  あへていへば光明皇后を写したといはれる法華寺の十一面観音だ。
  これは秘仏なんで公開の時期しか拝することはできない。この春には行つてみたい。
  この連作中には出て来ない法華寺だが、光明皇后を詠んだ秋艸道人の歌碑がここにある。

 ・ふぢはら の おほき きさき を うつしみ に あひ みる ごとく あかき くちびる  會津八一

 二首目は頭書の写真にある通り、三〜四首は斑鳩の法起寺のことである。
 法起寺の庭にはコスモスが揺れていて野趣のある景だった。 
 京から大和への旅は心の癒される旅であった。


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2011年02月12日

「潮音」2011年新春20首詠入選歌−その3−

 
    gigei.jpg        #古都逍遙 −その3−  zenkei.jpg


山と見しはいにしへびとの眠る墳墓(はか)その辺(へ)を廻り歩み進めぬ

此処に来て時の流れはゆるくなる白き木槿の秋篠の里      

伎藝天に願ふこと多しその一つわが歌友の真幸くもあれ     

ゆたかなる頬に笑みをば見せたまひ肩なだらかに人びとを魅す

神将に踏みつけられし邪鬼の顔われに似たるがいとほしかりき


   
秋篠寺の伎藝天は本当に魅力的だ。
   そのふくよかな身体の線には魅せられてしまふ。
   お守りを3つ買った。芸事を目指す人のお守りなので短歌の友達へのプレゼントにした。

 
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2011年02月07日

「潮音」2011年新春20首詠入選歌−その2−

  

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  #古都逍遙 −その2−

ゆうるりと雨の奈良坂登りきていにしへびとの歌をおもひき

春日野をもとほる秋艸道人の後ろ姿が見ゆる夕ぐれ

なき妻のおもかげを見るみほとけの頬吹く風もかそかなる朝

はつかにも風あるごとし香煙のゆれて昇るを見つつをろがむ

雨に追はれ遅き昼餉をとりし店の女あるじは天平の顔


奈良坂と言ふのは奈良から北へ木津の方へ越えて行く坂である。
その辺一帯の丘を平城山(ならやま)といふ。
上古より平城京より近江へ、さらに先へと向ふ重要な街道であったらしい。

いにしへ人といへば、やはりこの近くに御陵のある磐ノ姫の歌が思い起こされるが、
ボクにとっては「平城山」といへば、
萬葉集よりも次の短歌に平井康三郎が曲をつけた歌曲をまづ思い出す。

 ・人恋ふはかなしきものと平城山にもとほりきつつ堪へがたかりき  
 ・古(いにし)へも夫(つま)に恋ひつつ越へしとふ平城山の路に涙おとしぬ  北見志保子
 

お若い頃の平井保喜(康三郎)先生には、一度お目にかかったことがあるし、
先生のサイン入りの「平城山」の楽譜を持っていたこともある。(残念だが今はない)

平井先生はボクの故郷の高知県伊野(現いの)町の方で、
この歌曲の唱れるのを初めて聴いたのは60年以上も前のことだ。
北見志保子も高知県宿毛の方、その恋のエピソードは長くなるので
今は省略しておく。

それやこれやが少年の頃のボクの心に染みついて、
奈良恋ひの原点になっているのだらう。

2首目にある秋艸道人といふのは、會津八一のこと。
この歌人の平仮名ばかりで奈良を詠まれた「南京新唱」は素晴らしい。
ボクの連作も八一の歌が下敷きになってゐる。

  

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2011年02月06日

結社誌「潮音」2011年新春20首詠入選歌−その1−

「潮音」の新春20首詠に入選した。

一昨年、昨年と準入選だったので3度目の正直か…
素直に嬉しい。 5首づつ4回に分けて載せることにする。


   
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   #古都逍遙 −京より大和へ− その1 

白萩のこぼるる京の古寺にわが恋ひしたふ菩薩在します

清やかな面
(おも)もて思惟(しい)に入りたまふ弥勒菩薩に挨拶をせむ

細き指の頬に触れざるその間
(あはひ) 宇宙の果てを思はせる距離

われに遠き思惟の形よ弥勒さま半跏の趺坐を解かせたまへや

みほとけの慈悲を諸手に受けて眠(ね)るホテルの夜を短く思ひぬ

  
             
Maitreya_Koryuji[1].jpg    
この旅の連作は京都からはじまった。
京都の友人Pさんに太秦まで連れて行って頂いて、廣隆寺を訪れるところからだ。

此処を訪れるのは何年ぶりになるかなぁ…
初恋の人に逢ふやうなときめきを持って掌を合はせる。

posted by 素浪人Joe at 02:44| Comment(0) | TrackBack(0) | 日々に詠ふ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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