2008年11月24日

『潮音』08年11月掲載歌

    #もの狂ひびとの街

落つる陽に向ひて歩む人らみな金の縁取りつけて影引く

ゐさらひを見せて胸張り街歩むをのこありけり眼は光ゐし

年毎に見かけ綺麗になりし街もの狂ひ歩む人も失せにき

身ぎれいになりゆく街のさびしさはたとへば虫も食はざる造花

今日ひと日なづきに鳴れるコラールよまた寄せ返し来たるかなしみ

裸で歩くもの狂ひびとを子供の頃には時々みた。
見かけの世の中が小綺麗になつた現在では、
そんな人は見たくても見られない。

今にして思ふと、十字架に架けられたキリストが、
そのまま歩き出したやうな姿であつた。

子供の頃はそんな人が怖かつたものだが、
いまでは尊敬と憧憬の念でその姿を思ひだす。

 以下はボツになつた作だが、これはあまりにもママといふ気がする。
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ラベル:潮音
posted by 素浪人Joe at 02:12| Comment(4) | TrackBack(0) | 日々に詠ふ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年11月11日

『潮音』08年10月号掲載歌

             
    # 曼珠沙華        曼珠沙華


 天高き秋いま来むと人いへどわが上に停まる秋雨前線
              
 秋さればゆする人なき鞦韆
(しうせん)は縊死体のごと影を落としぬ

 しんしんとただしんしんとひろがりて曼珠沙華赫し黙し歩めば

 この世にはあらぬさまにてとび散らふ朝靄のなかひがんばなばな

 わが胸を断ち割れば飛ぶ血潮かと思ひてちぎりぬ曼珠沙華三つ


 ここ2ヶ月以上、ボクはあまり元気が出ない。
 その上、カミサンも不整脈がひどく、寝たり起きたりなのである。
 
 お互い高齢のことでもあるし、不安がつのる。
 歌にもそれが現れるので、鬱陶しい限りだが、そうも嘆いてばかりもゐられない。
 
 日々の買物やキッチン仕事も引き受けて、結構忙しい・・・・

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ラベル:曼珠沙華 潮音
posted by 素浪人Joe at 03:20| Comment(0) | TrackBack(0) | 日々に詠ふ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年11月04日

「めめしさ」について

このところ、情の本質を「めめしさ」とした本居宣長の主張に共感してゐる。

彼はいふ。「しごくまつすぐに、はかなく、つたなく、しどけなきもの」にこそ価値があるのだと。

"やまとうた”の根本がそこにあるならば、ボクも恥かしがることなく、
改めて堂々と「めめしさ」を追求してみやうと思ふ。


少年の頃兄に言はれた言葉を思ひ出す。
「お前はめめしい、文弱の徒だ」と。
この言葉がトラウマとなつて、こんな齢まで身に染み付いてゐたやうだ。


さてと、開き直つて「めめしさ」を表現した歌をいつぱい詠んでみやう。


めめしい例とは言ひ切れないが、たとへば萬葉集の次のやうな歌、


 ・わが屋戸のいささ群竹吹く風の音のかそけきこの夕べかも  大伴家持


この境地まではなかなか到達できまいが、目標は高い方が良いだらう。

めめしく、しどけなく、頑張つてみやうか、と思ふ。

ラベル:本居宣長
posted by 素浪人Joe at 01:36| Comment(4) | TrackBack(0) | 歌について思ふこと | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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